24Dec

吃音のせいで人生がつまらない。吃音がなければもっと楽しい人生が送れたはずだ。吃音さえなければ・・・。吃音に悩んでいる人であれば、そんなふうに思うことは一回や二回ではないでしょう。吃音という宿命を負った私たちは、いかにして人生の楽しさや幸せを掴めばいいのか。たとえ吃音であっても輝く人生を歩むための視点をお伝えします。
誰にも迷惑を掛けずに、まじめにやってきた。悪いことは何もしなかったし、一生懸命頑張ってきた。でも吃音のせいで人生が思うように上手く行かない。
朝から考えることと言ったら吃音のことばかりで、楽しいことなんて何一つない。だから生きていても幸せを感じることもないし、目標も無くただ来る日も来る日も、なんとなく流れに流されるまま惰性で過ごしている・・・。
一方で子供の頃、周りに迷惑ばかり掛けていた奴がいた。不真面目で問題行動ばかり起こし、周囲の大人を困らせる本当に迷惑な存在だったにも関わらず、不思議と奴の周りには楽しそうに人が集まる。今では出世して社会的な地位も手に入れている・・・。
一生懸命まじめに頑張ってきた自分が、つまらない毎日を送っている一方で、人に迷惑ばかり掛けていたいい加減なあいつの周りには、なぜか人が集まる。会社では出世もしたし、結婚して子供も生まれて充実した人生を過ごしている。どうしてこんなにも不平等なのか・・・。迷惑を掛けずにまじめに過ごしてきたこれまでの自分は一体なんだったのか・・・。吃音さえなければ違う人生だったはずなのに。
もしこんなふうにあなたが思っているとしたら、その差は何をきっかけに生まれたのでしょうか?いつから差が生じたのでしょうか?
ずばり言いましょう!それは、あなたが吃音から逃げてきたからです。
本当はまじめでもないのに、まじめを演じていれば、きっと誰かが同情して助けてくれると都合よく思い込んで、様々な困難から逃げてきたのではありませんか?だからあなたは、大きく傷つくことは無かったけど、本来自分で超えなければいけない壁からも逃げてしまった。
人は、壁を越えられずに困っているから手を差し伸べてくれるのであって、困難から目を背けて壁を越えようとしない人には、手を差し伸べてはくれません。
吃音者にとって自ら人前に立つことは、自分で自分を傷つけるに等しく、心に深い傷を負うことになるかもしれない。そしてそんな様子を人が笑うことで、更に深い傷を負うかもしれない。しかし傷つくことを覚悟して、笑いものとしてさらされることを覚悟して、自分の吃音に正面から向き合うことで、吃音の苦しみから抜け出すことができたのに、傷つくことを恐れるあまりそれを避けてきた。
『きっと笑われる。変に思われる。』
一方的な自分の思い込みにも関わらず、それが正しい認識だと決め付けることで吃音におびえ、それから逃げ回っている。だから昨日と同じことが今日起こり、今日起こったことがまた明日起こる。結局、なにも変らず、なにも成長せず、逃げ回る毎日が繰り返される。
その負のスパイラルから抜け出さなければならないことは、あなたもうすうす気が付いていますよね?しかしそのスパイラルから抜け出すためには、大ケガをする覚悟で自ら壁にぶち当たるしかない。これだけは他人は助けることができない。自分で覚悟して決断するしかないのです。
さぁ、どうしますか?
今まで自分と同じだと思っていた仲間が、気が付いたら大きく変り成長した姿を目の当たりにしたあの衝撃を思い出して、あなたも覚悟を決めて変ることを決断しますか?それとも幼いまま、この先もずっと過ごすと決めたのであれば、それもひとつの決断でしょう。これまでと変わらない毎日を繰り返す未来が訪れるだけです。
結局、逃げて居ては人は変われないし、傷つくことを恐れていては変われません。傷つくことを承知のうえでチャレンジすることで、はじめて周りが助けてくれるのです。傷つくことを恐れ、何もしない人など誰も助けてはくれません。
傷つくことを恐れ避けてきたあなたの周りに、楽しみや苦しみを分かち合える仲間が居ないのは当然です。はじめから逃げたり自分と戦わなかった人間に、魅力や信頼なんて無いのだから。
自ら変ろうとしなければ何も変わらない
吃音で苦しんだり悩んでいる私たちに対して、親身になって本音で意見やアドバイスをしてくれる人はなかなか居ません。とても繊細な問題だけに、そこに触れる『怖さ』があるのだと思います。そのため吃音の方の中にも、自身の吃音に対して向き合わない、または向き合えない方もいるでしょう。なかには上のメッセージにショックを受けた方がいるかもしれません。
実は過去の私が、このような人間でした。
私は、自分が吃音である現実から逃げ、自分を直視する勇気がありませんでした。傷つきたくない。嫌な思いをしたくない。吃音のことなど考えたくもないし、触れられることすら嫌でした。だからいつも逃げていました。そのため、逃げることについては人一倍上手くなりましたが、逃げたことによって一時的に苦しみから逃れられた一方で、失ったチャンスが沢山ありました。
今になって思えば、あれもやっておけばよかった。これもやればよかった。と思うことは沢山あります。しかし失った過去は戻ってきませんし、やり直すこともできません。
私の人生はすでに半分終わりました。しかしようやくこの歳になってある真実に気が付き、自分の吃音に向き合えるようになりました。それは、自ら吃音に向き合い、自らの吃音を認める勇気を持つということです。するとたとえ吃音であったとしても、自分を素直に出すことができれば人生は輝くのです。
他人が人生を変えてはくれないし、他人に期待しても何も変りません。自分自身が変ろうとしないことには、現実は何も変らないのです。
しかし自分次第で自分の人生はどのようにも変えることができます。それはたとえ吃音であってもです!その事実に気が付いた私は、吃音に悩み苦しんでいる多くの人に、その真実と吃音であっても自分の魅力を放つ生き方をこのブログでお伝えします。
自分が変れば、間違いなく人生は変ります。周囲?他人?関係ありません。もう周囲を気にして生きることはこんりんざいやめましょう!吃音に悩み、吃音に振り回される人生は終わりにしましょう。そしてこれからは自分がやりたいことを自由にやって、自分の人生を歩みましょう。それは十分可能なことなのだから。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
いつもクリックありがとうございます。
[投稿日] 2014年8月14日
[最終更新日] 2015年12月24日
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